思い出したことがあります。
昨晩Canmoreの友人と夕食を一緒にさせてもらいました。向かったレストランはCanmoreでもHigh Class(2007年にはCanadaのTop10 New Restaurantに選ばれるくらい!)の所でした。食事も、一つ一つ、嗜好を凝らされて大変美味しいものでしたし、バッググランドのミュージックもおしゃれで、内装も落ち着いた素晴らしいところでした。でも、何かこう心ここにあらずという感覚でした。
自分では、金額にビックリ!したからか(ビンボウ癖が・・・)と思っていたのですが、しばらくして落ち着いて考えてみたら、「本当に美味しいって感じられる物ってもっと身近にあるもんなんじゃないかな」っていう所で引っかかっていたんだと気付きました。敷居が高いものでもなく、畏まったものでもなく・・・。
ココで、その思い出したことを一つ。辻 信一の『スロー・イズ・ビューティフル』の中で紹介された藤岡亜美の『アマンタニ島のスローフード』より。
忘れられない味に出会ったのはチチカカ湖に浮かぶアマンタニ島。水道も電気もない、星のきれいな島で、ある民家に泊まった日の夕食だ。・・・日が暮れかける頃、船乗りのお父さんがジャガイモをかついで帰ってくる。土のついた小さなパパス。待ってましたとばかりにお母さんがかまどに火をいれ、夕食の支度を始める。あたりはちょうど暗くなり、調理の火の周りに子供たちが集まってくる。ケチュア語で家族の会話が始まる。学校の話とか船の話とかなのだろう、ひとりひとりの一日をシェアするのだ。(考えてみれば、こんなに情報が溢れている時代に、私は自分の家族が過ごした時間をほとんど知らないなぁ。)親子の会話。夫婦の会話。・・・私には何を話しているのか見当がつかない。それにおなかもペッコペコ。レストランならもうとっくに料理が出て食べ終わる時間だ。暖かい家族の団欒に感動しながらも、だんだんイライラしてくる。そんな「私の時間」は、古代文明の栄えた広い湖の上で、本当にちっぽけで、無力で、根拠がない。・・・やっと出てきたのはじっくり煮込んだジャガイモやニンジンや雑穀のスープ。いびつな素焼きの器に入っている。家族の時間まで溶け込んだ、とても暖かい味のスープ。・・・一ヶ月間、一度も日本に帰りたいなんて思ったことはなかったけど、その時ばかりは家族の顔が思い浮かんだ。食卓、それは多くの物語でできている。僕はココCanmoreでこんな夕食をなんども食べさせてもらった記憶があります。ヘトヘトになるまで、登ってきてから食べた食事。ちょっと、雨が降って、登れずにマッタリしてしまった時の食事。彼、彼女の腕はもちろんスゴイのだけどそれだけじゃない、暖かい何かがしみこんだ味がして、うちの父からの遺伝でもある「一人でいるっ子政策」で過ごしてきたNobuにとって、とてもやわらかーく、満たされた時間だった気がします。
どんなに高価な食材で作られ、彩られた食事より、Nobuは思い出のつまった、「物語でできた」食事がダイスキです。自分の家庭も、こういう時間が流れるものになるといいな。
文献:
辻 信一 『スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化』 第七章「さまざまな時間」 (平凡社)
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